怠惰みっくす

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虚無の思想

2009/3/18 (Wed.)
「それでいいんじゃないかな?
どうせ、一寸先は闇だし・・・」
「うーん・・・」



虚無の思想

2009/3/19 (Thurs.)
体力がものすごく落ちてた
きたえる



虚無の思想

2009/3/21 (Sat.)
「〜♪」



虚無の思想

2009/3/22 (Sun.)
「えへへー」



胡蝶の夢

2009/3/27 (Fri.)
夢オチ

もしかしたら、
"あの人"が死んだら"あの人A"が目覚めて、
"あの人A"が死んだら"あの人B"が目覚めて、
"あの人B"が死んだら"あの人C"が目覚めて・・・
といった世界になっているのかもしれない。



逆なのかもしれない

2009/3/29 (Sun.)
幼年期から青年期にかけてなんというか劣等感染みたものを抱いた人は
それに対して心が捉われる気がする。反面教師?違うような・・・

貧しかった人はお金への執着心が強くなり、
満足に食べることができなかった人は食へのこだわりが強くなり、
欲求不満だった人は女遊びに嵌り、
日々弱っていく父の背中を見る人は強い身体を求め、
人見知りしていた人なら対人能力にこだわり・・・等など

といった感じで考えると
儒教は、もともと礼節といったものが無かったから発達して、
武士道は、忍耐や勇気がないから発達して、
哲学は、なにも考えなかったから議論するようになり発達していったのだろうか。
ソクラテスは自分はなにも知らないということを知っている
という、無知の知を説いたことは有名だしなぁ・・・

だとすると、俗に言う作家と言った人達は、
その書いたことと逆の人間になるのだろうか・・・。
女性にもてない主人公の話を書く人はモテモテの人で、
貧困層の話を書く人は裕福な人で、
とてもユーモアがあって笑える話を書く人は暗い人で、
逆に非常に暗く死にたくなるような話を書く人というのは明るい人で、
真面目なことばかり書く人は不摂生な生活を送る人で・・・

うーん、だとしたら自分は、努力云々とか書いているから
努力しない怠惰な人間ということになる。
・・・当たってるなぁ・・・当たってるなぁ・・・

偶々自分は当たったけど
当たらない人もいるだろうし・・・
絶対逆の性格だ!と決め付けるのは好ましくないかと。
だいたい根拠が曖昧。

でも、なかなか面白いかも。
本を読むときとか、これでだいたいの作者像を描くことができそう。


ということは、太宰治とかゲーテといった人達は明るい人・・・?
じゃぁ、なぜ太宰治は4回もの自殺未遂をし愛人と心中したのだろうか
「ぼかぁ、暗い文章を書きたいのに性格が明るいせいで
文に重みや深さがない、書いても書いても思うように書けない・・・
まぁ、いっか。なんかどうでもいいや。
などと考えるから駄目なんだ。もっと崩れなければ良い文を創ることはできない・・・」
と、書いたものと自分とのギャップに悩んで・・・
無いなー。

面白くて声を出して笑える文章を書く人・・・
えーと・・・、さくらももこしか知らない・・・
じゃぁ、さくらももこは暗い人間なのだろうか。
うーん・・・。

だとすると、カフカやボルヘスといった人達は分かりやすい人だったのだろうか。
分かりやすい人ってなんだ!



虚無の思想

2009/4/2 (Thurs.)
「・・・」



めも

2009/4/3 (Fri.)
「マンガ」 水木しげる

時々、下手くそな絵とカラの頭とをもって、マンガ志望者が現れる。

「しばらくお勤めでもしながらゆっくりやったらどうです」というと、奇妙な顔をする。彼らには説明しても、下手くそな絵とタリナイ頭がわからないらしい。

絵は努力しだいでうまくなるし、カラの頭も一生懸命つめればつまるから心配ないが、「はじめから描かせてみてくれないのは、おれの天才を認めていないのだ」という目つきには閉口してしまう。それに、ちょっと誰かに似た絵を描けるようになると「もう俺はカケル」と早合点してしまうから困るのだ。十年位かけてじっくりやろうという心構えなんか見たくても持ち合わせていない。二、三年のうちに名声とお金を手中に収めようという安易な気持ちだから、ボクは彼等をケイベツするのだ、

ショウといわれるプロレスでも激しい訓練の後に得た業だ。何事にも長いトレーニングが必要なのだ。マンガの場合は、スポーツと違って勝つ相手の形が判然としないので、トレーニングの方法も非常に面倒だ。三年、五年いや十年でも手と頭のトレーニングが肝要である。

頭を毎日なぐりつけていると、そこにコブができるように、毎日苦心していると奇妙な発想がわいてくるようになる。そしてしまいには、手塚治虫先生や横山光輝先生のように子供のよろこぶオモチャマンガが、面白いほどできるようになり、まるで玩具製造器のような頭になってしまう。そこではじめてお金がタンマリもうかるという仕組みである。人間は生き物なのだから、自分の頭を少しずつ金儲けの機械に変形させてゆくわけである。そして、描く作品は、「マンガは子供のオモチャ以外の何ものであってもいけない」と考えている父兄や、よろず評論家たちの目を無事通過する規格品でなければならない。

人間の真実の姿なんてものはマンガでは描いてはならぬものとされているらしいのだ。

しかし、そういう金にならないマンガが、一部の人々の苦しみの中で生まれ、育ちつつあることは、誠に心強く、またうれしい限りである。


初出:「ガロ」 1965年10月号
「なまけものになりたい」水木しげる 河出文庫 2003

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大変興味深い。

水木しげる伝などを読んでいると
個人的には、水木サンの描いた作品の中でも
水木サンの人生そのものを描いた作品が面白い!
と感じます。





2009/4/4 (Sat.)
「        」
「・・・」
「              」
「     」



虚無の思想

2009/4/5 (Sun.)
雨のあとのコンクリートの湿った匂い



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