怠惰みっくす

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宇宙(図書館)の図

2009/2/5 (Thurs.)
「えーと、つまり・・・あくまで自論だけど・・・、
図はこういった感じなのかな・・・?
最初に言っておくと、
"(他の者たちは図書館と呼んでいるが)宇宙は"
とあるので、このバベルの図書館という話は宇宙の説明文になる。
六角形の中心には換気口がある。
換気口からは上の階、下の階が見渡せる。
換気口はきわめて低い手すりで囲まれていると思う(自信がないのは私自信に確信が持てないから)
中心の六角形はホール。螺旋階段がある。
ホールの左右にトイレ、立って眠れる小部屋もある。
"一辺につき長い本棚が五段で計二十段が二辺を除いたすべてを埋めている"
本は一段につき三十二冊収まっていて、
それぞれの本は410ページ、各ページは40行、各行は約80の黒い活字からなる。
文字はアルファベット+コンマ、ピリオドの合計25、大文字は含まず
また、本の背にも文字が書かれているらしいが、
本の内容とは全く関係が無く、人々にはこの脈絡のなさが神秘的に思われるらしい。
本の中はすべて"a"で構成させているものもあれば、
この作品"バベルの図書館"もこの宇宙には存在する。

なので、人々は自分のことが細かく書かれている作品"弁明の書"を必死で探す。
その作品には自分の存在意義、未来、死因といったすべてが書かれている(偽物もある)
しかし、あまりにも膨大な数なので、生涯の内に見つけられるか分からない。

"わたしはあえて以下の解答を提出したい。
図書館は無限であり周期的である。
どの方向でもよい、永遠の旅人がそこを横切ったとすると、
彼は数世紀後に、おなじ書物がおなじ無秩序さでくり返し現れることを確認するだろう
(くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ)。"

周期的 ある現象が一定の時間をおいて同様に繰り返されるさま。
永遠の旅人とは、おそらく不老不死の人間のことだろう。

つまり、死なない人間が螺旋階段を永遠に上って(下って)行くと、
以前読んだことのある本に再び出会うということ。
また、さらに上って(下って)行くと、その本にまた再び出会うということ。
いわゆる無限ループ ということになるのかな・・・」

そして私はふと思った
"食事はどうするのだ" と

「ん?・・・!
本棚と本棚の間に隙間があればどうなる?
本棚は四辺しかない この条件を満たしてだ。
・・・?でも、一辺はホールに繋がっている。
ホールは一つじゃないのか?
・・・そうなると、縦横高さとともに無限ループ・・・。
・・・・・・。」
私は考えるのをやめた。
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http://www.agulin.aoyama.ac.jp/kanpou/aguli/agulitext/aguli53/aguli53-p04.htm
なるほど



無秩序な世界(想像)

2009/2/8 (Sun.)
「"くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ"ってどういうことなんだろう・・・」

「んー、その文脈からいくとぉ、秩序が書き換えられているねぇ。
おそらく、ここで言う秩序というのは、その本に再び出会うことはない ということ。
でも、くり返し何度もその本に出会えば、秩序は崩壊する。無秩序が秩序に代わる。
ん?なんだか分からなくなってきたよぉ・・・。
秩序よりも常識という言葉に代えた方がいい気もするねぇ。秩序が常識に、無秩序が非常識にぃ・・・、
んーんーんー、例えをしようか」

「うん」

「ナヤミちゃんはご飯に合うおかずは何だと思う?」

「うーん・・・、私は白いご飯のままが好き、炊き立てがいいな・・・」

「なるほどぉ、僕は生姜焼き、いや明太子もいいなぁ。
いや梅干もいいなぁ。・・・納豆はだめだなんなんだあれは。
おっとごめん、つまり、ナヤミちゃんの場合は炊き立ての白米を食べることが秩序。
僕の場合は、明太子などで食べることが秩序になる。
でもぉ、無秩序だけどぉ、
世界一臭い缶詰シュールストレミングがご飯に合うおかずになったとしよう・・・。
何年も、何十年も・・・」

「・・・う゛」

「するとその無秩序が僕達のいやこの国の秩序になってしまっている というわけさぁ」

「・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・ご飯が食べれなくなった・・・・・・・・・」



「このやろおおおおおおナヤミちゃんになにをしたああああああ」

部屋の外にいた智恵ちゃんが突然入ってきて、
真にビンタを珍しくヒットさせると、
真は気が狂い「a~f.a~f^(TM)3/4c,§‘a"^(o)a>*…?a~」などと文字化けを喋り続け、
ふらふらとしながら部屋から出て行った。



虚無の思想

2009/2/10 (Tue.)






2009/2/11 (Wed.)






2009/2/14 (Sat.)




剃髪のすすめ

2009/2/15 (Sun.)
そもそも髪を刈ることは恥ずかしく、屈辱的な行為だったのです。
古代スパルタでは、逃亡兵に剃髪の刑を課しました。
古代マケドニアのアレクサンドロス3世は兵士たちに髭を持つのを禁じました。
17世紀のフランスでは売春婦は頭を剃られた上で、追放されました。
同じく17世紀、中国の清王朝(満州族)は、征服した漢民族に辮髪(べんぱつ)を強制しました。
当時、漢民族は儒教思想でした。
なので両親から授かった大事な髪を剃るということは、思想的に許されないことでした。
しかし、清王朝は辮髪にしないと死刑に処す。と宣言し
漢民族は渋々従ったそうです。
等など

仏教の剃髪
坊主頭が有名。
剃髪する理由としては
迷いの苦悩から脱するため(解脱)
俗世間との関係を絶つため
煩悩を絶つため 等など
もともと釈迦に倣ったもので、
古代インドでは、剃髪は重罪を犯した人間に課せられた刑罰でしたが
釈迦は自ら解脱のため進んで剃髪し、弟子達もそれに従ったそうな。
(坊主頭にしない宗派もある)

キリスト教の剃髪
トンスラと呼ばれる髪型があります。
これは日本で最初の宣教師フランシスコ・ザビエルがその髪型でした。
キリスト教信者が司祭になるため
頭頂部を円形に剃るそうです。
理由としては、
俗世間との関係を絶つため キリストに巻かれたイバラの冠の形に似せるため が有力な説だそうです・・・
うーん・・・・・・

この習慣自体のことをTonsureと言うそうです。

衛生上の剃髪
集団生活をする軍隊といった組織だと、
病気の蔓延は避けたいものです。
シラミを流行させないためにも、
また、共用の装備品から皮膚病などの病気を防ぐため剃髪をしました。
ちなみに、日清戦争勝利後、民間でも剃髪(丸刈り)が流行ったそうです。

民族主義、排外主義、反社会の剃髪
極右的民族主義者(ネオナチ)や排外主義者がスキンヘッドです。
格好は、野戦服の上着にジーパン姿、靴は軍用半長靴だそうな・・・
パンク・ロックからの影響が強いみたいだけど、
スキンヘッドにする思想的な理由がよく分からない。

君子危うきに近寄らず ですね。
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うう・・・スースーする・・・
スキンヘッドにしました。
思想的な理由はありません、手入れが楽そうというのが理由でした。

・・・・・・。

長髪だったときより手入れが大変です・・・。
剃刀で頭を剃るのが怖い!怖すぎる!
なんだろう、髭はジョリジョリ剃るのに対して、
頭はガリガリ剃るという感じで、皮膚ごとガリッといきそうで・・・
幸いそれはなかったでしたが、もうやりません・・・。

二度とやるか!



虚無の思想

2009/2/17 (Tue.)
あの意見は次から次へと変わっていったのです。
今日も彼は手をあげます。
彼なりの意見があるのです。
自分の意見を持つべきなのです。



虚無の思想

2009/2/21 (Sat.)
「ふーん、えらく堕落したね」



虚無の思想

2009/2/23 (Mon.)
「もういやだ」



めも

2009/2/25 (Wed.)
新井英樹のインタビューはっけん
http://www.cyzo.com/2009/02/post_1548.html
この人の作品は人間をありのままに描くから好き
出てくる人間すべてが生きてる感じがする。すべてのキャラが濃い。
レビューサイトとか見ていると
かなり好きな人とかなり嫌いな人の両極端に絶対分かれているから面白い
自分は前者です。
普通と答える人はいないんじゃないかな。

ザ・ワールド・イズ・マイン
大量殺人鬼の話、特に道徳について考えさせられる。
感情が爆発する漫画。
トシが"命の値段、命の重さ(グラム単位まで)"の答えを要求するあたりのシーンが一番好きです。

キーチ
自分に素直な染谷輝一(そめや きいち)の話
前半泣いた。輝一が初めて大声で泣くシーンはいつ読んでも眼が熱くなる。

キーチvs
成人している輝一の話。
おもしろいし、これからがすごく楽しみ。

SUGAR
天才ボクサーの話、試合のシーンがすごい。
新井作品の中でおそらく一番明るい作品。
SUGARとRINは展開が早く感じて面白い。

RIN
SUGARの続編。
主人公がさらに良くも悪くも成長する漫画。
完結してしまったけれど、続きが読みたい!

宮本から君へ
ザ・ワールド・イズ・マインとかは漫画!って感じがしたけれど、
この漫画は邦画!って感じがします。
他の作品とはまた別の感情が炸裂する漫画。

愛しのアイリーン
どろどろとした性の漫画、うーん・・・・・・。
一回読めばもう・・・。

自分が、"人間の本性は悪だからこそ善へ矯正しなければならない、努力しなければならない"
という荀子の性悪説を肯定するのは、
こういったやりきれない気持ちになる話の
漫画や小説、映画を見たり読んだりするのが好きだからなのかもしれない

>【新井】 今の時代は「自分探し」といっても、何もせずに自分の中に埋蔵金みたいなものが眠っていると信じているだけですよ。たとえば、本を読むだけでステップアップできると信じて、面倒なことは何もしなかったり。そんな感じがやたらするんですよ!

>【新井】 とことん否定されて、自分が何者でもないところまで追い詰められたりしないでしょう。自己肯定してくれるものばかり探しているような感じがします。

・・・するどいなぁ、あるなぁ・・・自覚しよう・・・



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